[ 穏やかな罠 ]




 あの日から、レイモンドはエマに会いに来るようになった。
 初めて会った階段の下でのんびりと待っているようで、通る時間が前後してもいつも同じ場所に立っている。
 城勤めというわけでも兵士というわけでもないレイモンドが一体何をして日々を過ごしているのかエマは知らず、なのに気付けば自分の話ばかり引き出される。仕事をしていないのか、よほど自由に時間を使える職なのか、もしくはただの暇人か、それすらも聞けずじまいだ。
 若い独身の貴族ならば、侍女たちの話にも上りそうなものだが、そこでも彼の名前を耳にした覚えがなかった。見目が若干地味なせいだろうか……しかし、女が見向きもしないようなタイプとも思えない。柔和な雰囲気や紳士的な態度は一般的に見ても好ましい類のものだ。
 エマにとってレイモンドは謎の人物のままだった。
 
 
 
 部屋を退出して、見慣れた廊下をまっすぐ進む。
 カツカツと規則的に鳴る足音は鋭さを感じさせ、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
 もっとも進路を阻む一人には通用しないものだったが。
 
「レイモンドは気に入ったか?」
 
 やたらと長い足を投げ出し、壁に寄りかかっているのは、この城の主であるエリック・ナッサウ。つまりエマの仕える主君である。
 その主君から飛び出した台詞にエマは怪訝な表情を浮かべた。
 レイモンドと会っていることは誰にも言っていない。言う理由もなく、そもそも約束して会っているわけではないからだ。あちらが勝手にやってきて、話をして帰る。その繰り返しだ。
 
「エリック様? 一体何の」
「レイモンド・ウィローだ。お前に会いに来ただろう? あの男は私の学友みたいなものでね」
 
 くっくと笑うとエリックは足を組み直す。
 
「余計な手を回したのですね……」
 
 ため息をつき、内心の苛立ちを紛らわす。
 人は良さそうだが奇妙な男だと思っていたところにこれだ。
 
「馬鹿は嫌いと言うからな」
「そ、そこまでは申しておりません!」
「戦しか知らぬ馬鹿が嫌で『片っ端からのしていた』のはお前だ。嫌い以外の何がある」
 
 声に厳しさが加わり、エマは黙ってしまう。
 貴賎を問わず、有能な者を受け入れる度量の広さを持つと同時に、使えぬ者はあっさり切り捨てる非業さも持ち合わせる。それがエリックという人間だった。本気の彼の前に出れば、大抵の者は気圧されるだろう。
 如何に剣で鳴らしたエマと言えど、抗うのは不可能だ。主君であるということを差し引いても、あの空気にはできるだけ当たりたくないものだと思ってしまう。
 
「そんな顔をするな。私はこれでもお前に目を掛けているのだよ。だからこそ、レイモンドを呼んだのだ」
 
 エマの態度を察したのか、纏うものを一変させると、代わって機嫌のいい声で話しかけてくる。
 
「アレは賢いし、家も申し分ない。腕さえ壊さなければ、次の四将軍の候補に名が上げっただろう。簡単に言えば、私の気に入りということになるか」
 
 エリックの気に入りと言われた男をどうして断れようか。
 喪が明けて一ヶ月、ついに我慢の限界のときが来たのだと身構えた。
 確かにあの男は悪い男ではない。名家の出で、戦よりも勉学を好み、けれど腕のことがなければと言われるほどに戦士としても優秀……そう、エマが求める条件という意味では否というべきポイントが見当たらない。
 彼でいい。
 そうなのかもしれない。
 けれど、とエマは苦々しく眉をひそめた。
 つまりあれは自発的なものではなく、エリックの言葉があって初めて成立したことなのだ。
 
「伴侶を決めるのはお前だ……よく考えるといい」
 
 肩を軽く叩かれ、エリックはエマの横を通り過ぎていく。
 身に覚えのない妙なざわめきを感じて、エマは立ち尽くした。
 
 
 
 
 
 エリックの言葉が脳裏で回る。
 考えるべきことが浮かんでは停滞し、とてもじゃないが楽しく談笑という気分ではない。
 いつもの場所で待つレイモンドに気付きながらも、エマは無視して通り過ぎた。
 慌てた風でもなく、のんびりと後を追いかけてくる気配はあったが、歩みを緩めない。
 
「エマさん、今日はずいぶんお急ぎですね。何かありましたか?」
「何か、だと?」
 
 待ち構えていたように振り返り、突き刺す視線をぶつける。
 
「まさかエリック様の差し金とはな」
「成程……君の態度が固いのも納得しました。侯爵からお話があったんですね」
 
 ほんの少し表情を曇らせ、レイモンドは小さく息を吐く。
 
「全く勝手な方だ……けれど、エマさん。君が怒っているのは何故ですか」
「いけしゃあしゃあとおっしゃるものだな、レイモンド殿」
「えぇ」
「!」
 
 てっきり否定の言葉が返ってくるものと思ったところにあっさりと肯定されたものだから、面食らってしまう。
 
「僕は騙ったつもりはありませんし、侯爵に命じられて求婚したのでもありません。人に言われて女性に愛を語れるほど器用でもないですしね。ただ、会ってみないかとお話をいただいただけで」
 
 涼しい顔で言葉を続けるレイモンドに事情を暴露された故の焦りは見えなかった。
 カッカと怒りを見せていたこちらが恥ずかしくなるほどに落ち着いている。
 
「な、ならば、もう済んだでしょう。私に構う必要はありません」
「構う?」
「連日ここに来ているではありませんか」
 
 『エリックに言われた』ということであれば、初日に用は済んでいるはずだ。
 その後も会いに来る理由が、全く同じ義務であれば……そうであれば、エマはただの道化だ。
 別に普通の娘たちのように浮かれていたつもりはなかった。けれど、レイモンドとの時間を楽しんでいたのは事実だ。嫌悪を抱く相手のために時間を割けるような度量は持ち合わせてなどいない。
 
「それは……どちらかと言うと、僕が構って欲しいからなのですが」
「は?」
「あー、その……エマさんが呆れるのはもっともです、すみません。僕も正直何を言っているんだろうかと思ってますから」
 
 落ち着いた姿勢を崩し、レイモンドは困惑と照れの混じった笑みを浮かべた。
 エマの方はその表情に何か感想を抱いている余裕はなかった。
 予想をしていないところで想像の範疇を外れた言葉を告げられた。
 いつだってエマは強く、自分を律し、他人にも厳しい。
 頼られたことはあっても、そんな甘えるような台詞を吐かれた経験はない。
 
「でも本心なんですよ。君にはまだわかってもらえないようですが、僕が口にした言葉はすべて心からのものです……もちろん求婚したことも」
 
 エマの手を取り、恭しく礼をする。
 顔を上げたレイモンドの瞳はエマの姿を真正面に映し出し、揺らぐことなく見つめてくる。
 そこに簡単に言葉を続けられぬような何かを感じて、エマは口を噤んだ。
 どくどくと高鳴る胸はあの日と同じ……触れられているだけで、息が止まりそうになる。
 
「御答をいただきたい。僕の妻になってくれませんか」
「……っ!」
「今すぐにとは言いませんが、エマさんにも時間がないでしょう」
 
 エマには時間がない。それは事実だ。
 家の意向に沿うにはあと二ヶ月で夫を決めなくてはならない。
 まともに恋もしてこなかったエマにとってそれはどんな強敵よりも倒しがたい難関だ。
 
「だが、私は貴方について何も知らない。そんな男を夫になど」
「そうですね。つい気持ちが逸り、君のことばかり聞いてしまっていましたから。確かにこれはフェアではありません」
 
 言葉を切り、眉を寄せて考え込む。
 エマは邪魔をせずレイモンドの言葉を待つだけ。
 
「成人の儀まであと二ヶ月ほどですね……では一ヶ月、知りたいこと全てに答えることにします。最後の日に、御答をいただきたい。他の方とはお見合いをしないでくれとは言いませんし、もちろん僕では駄目だと思えば断っていただいて構いません。それによって君に不愉快な事態が起きないように侯爵によくよくお願いしておきますから、その点も御心配なく」
 
 まるで罠に掛けられたようだ。
 絡めとられるような感覚を味わいながら、それを振り払えない自分にエマは気付きつつあった。
 
 
 
 
 
 一ヵ月後、ハニウェル家は当主エマ・ハニウェルとウィロー家次男の婚約を発表することとなる。













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ずっと閣下だと話し進めづらいのでダヴィ父も名前付きました。エリック様です。
よくありそう且つかっこよさそうなイメージ……がエリックでした。
 
 
 
20090831