[ アクココロ 03 ]



 その男は、自らの命のことなど考えていなかった。
 アレも人間だ。死を求めているわけでもあるまいに、何故真っ直ぐ向かってくるのか。
 
「死ねぇ!」
 
 足元にクローディアの牽制の矢が落ちてこようと躊躇わず突き進む。
 
「フン、面白い」
 
 相手が何者かを気にするよりも今は目の前の敵を倒すことが先決だ。戦いの最中に余計なことを考えていては勝てるものも勝てない。相手が殺す気で、かつ死ぬ気で向かってくるのならば尚更。
 男が間合いに入ると同時に、グレイは刀を抜いた。
 刀の切っ先が腹に到達する前に、素早い身のこなしで暗殺者は高く飛び上がる。あくまで目標はグレイの後ろにいるクローディア……グレイを飛び越えて男はクローディアの喉元めがけてナイフを向けた。
 
「読めないとでも思ったか」
 
 背後から一閃。
 浅いながら、背中に傷を負わせる。反射的に振り返った男に、もう一太刀。今度は右肩から赤いものが散った。クローディアに向き直る余裕を与えず、こちらに向かわなければやられるということを思い知らさねばならない。
 間を置かず、斬撃を繰り返す。致命傷を与えるよりも意識をこちらに向けさせることが目的だった。
 弓を武器としている以上、彼女にとって接近戦は好ましくない。それを得意とするのは剣や刀など接近戦でこそ力を発揮する武器だけだ。
 暗殺者の腕前も大したものだった。顔に貼り付かせている笑みは飾りに過ぎず、実際のところグレイに余裕はない。刀よりもさらに小回りの利く小剣は素早い動きでグレイの刀を防ぎ、合間を縫うように攻撃を編み込んでいく。
 完全にグレイを敵と認めた男は鋭いナイフでグレイの右腕を裂いた。避ける間もなく、布地が飛び散った。どくどくと流れる血は、傷が決して浅くないことを示している。
 
「グレイ!」
「あぁ」
 
 グレイが敵を引きつけている内にクローディアは暗殺者と距離をとり、弓をつがえていた。
 クローディアが放った矢は一直線に暗殺者の背中に向かっていく。
 いい腕だ、とグレイは今度こそ本当に笑った。矢が背中を射抜くと同時にグレイの刀がその腹を抉る。
 挟み撃ちの形で襲われた男の呻きは崩れ落ちる音と一緒に地面に向かった。
 
「覚悟を決めてもらおうか」
 
 クローディアの矢は僅かに心臓を逸れ、グレイは元々とどめを刺す気で刀を振っていない。鍛えたとはいえ、古びた刀の切れ味はまだまだだということもある。
 放っておけば勝手に死ぬだろうが、その前に情報を搾り取るつもりだった。
 詮索しないことと、身を守るために情報を得ることでは意味が違う。
 
「……クク」
 
 漏らしたのは、笑い声だったのだろうか。
 狂った形相で開いた目の焦点は定まらず、瞳孔は開ききっていた。
 笑い声らしきものが収まった頃、男はギリリと歯を強く合わせた。その音がグレイに聞こえるほど強く。
 
「チッ」
 
 口角から泡がぶくぶくと噴き出し始める。
 屈み込むと、独特の甘い香りがうっすらと鼻に届いた。
 歯にでも仕込んであったのだろう、情報を吐くくらいならと毒を飲み込んだらしい。
 
「自ら命を……」
「こんなところばかりアサシンらしくしたものだ」
 
 グレイは先程付けられた傷に目を落とす。
 痛みはあるが、全身に回るような熱も眩暈もない。
 深いと言えなくもないが、腕を動かせぬことはなく、治療すればどうにでもなるだろう。
 
「毒は?」
「なさそうだな。アサシンにしては甘い」
 
 クローディアは顔を歪ませた。
 笑顔とも泣き顔ともつかないそれは、グレイの目の前で瞬きの間に消えていく。
 残ったのは平常通りの能面のような顔。
 
「怪我はないか?」
 
 返事はなかった。
 嫌がるかとも思ったが、やむをえずその腕を取り怪我の有無を確かめる。
 されるがままのクローディアは顔を背けた。髪と帽子から落ちる薄布に隠れて表情は見えない。
 泣いているのだとしても……いや、泣いてなどいないとグレイは考え直す。この娘は例え耐え切れぬ痛みにあっても、涙をこぼすことはないだろう。もし、彼女が泣く方法すら知らないとしても、グレイは何ら不思議と思わなかった。有り得ない話だが、ここまで頑なであるとそうも信じたくなる。
 右腕の内側にかかる布地を親指で捲りあげ、左手で支えたまま指をそっと滑らせていく。痛む様子もなく、肘近くに若干の擦り傷があっただけだ。指は弓を扱うだけに傷ついているが、慣れたものだろう。自分と比べるとずいぶんとか細く見える白く女性らしい腕、この腕が先程あのような矢を放ったのだから驚かされる。
 身体を覆う布地を取り払ってまで調べるほどの傷はなさそうだと見る。命に関わるのならばともかく、路地裏であったとしても女の肌を外で晒すのは忍びない。
 
「無事のようだな」
 
 やはり返事はなかったが、構わなかった。
 説明しようにも事情がわからない状況を人に見られる前にこの場を立ち去るべきだと、クローディアを促す。
 迷ったようだが、先を進むグレイに続くことを選んだクローディアは足を踏み出した。
 
 弓の腕は信用にたる、とグレイは判断する。
 的を外さず、それどころか一直線に心臓を狙う度胸は大したものだった。やらなければやられる……それを理解しているだけ、マシというものだ。敵を退けるたびに泣くような女では、例え仕事であろうと連れにするなど御免だった。
 戦いの前と後ではクローディアの様子に僅かな違いはあったが、仕方のないことだろう。
 自らを殺しに来た相手とはいえ、人を弓で射るのは初めての筈だ。どこに住んでいたかまでは聞いていないが、野生の瞳を持つ動物と暮らし、人と交わらずとも生きていけるような地だ。必要さえなければ弓など使わなかったのだと考えるのが妥当なところだろう。
 
 あの場から離れ、町の喧噪に近くなってきた頃、グレイは背後のクローディアに行き先を告げた。
 クローディアを狙う暗殺者が襲いかかってこなければ、宿屋を出てすぐ向かうつもりだった場所だ。
 
「腕の治療を終えたら、一度警備隊の詰め所へ向かう。今の男の報告をする気はないが、娘の情報が何かあるかもしれない」
 
 クローディアの足音が止まった。
 肩越しに振り返ると咎める視線を向ける彼女の姿が見える。
 
「何が言いたい?」
 
 グレイの問いかけに、クローディアは俯く。
 答える気がないのならそれはそれでいい。歩いてくれれば、それでいい。
 しばらく目を向けていたが口唇にも足にも動きがないのを見て、一歩二歩とクローディアに近付いていく。
 
「どうやら、俺は君を怒らせたようだな」
 
 子供のように頭を振るクローディアの顎を片手で軽く持ち上げた。
 愛しい者に対する仕種を意識して行ったわけではない。そっと親指を横に走らせれば、口唇を撫でることになりそうな位置にグレイ自身も多少戸惑った。誤解を招く指をどうにか離そうと腕を引く前に、クローディアが声を発した。
 
「傷ついてまで、守らないで。困るわ」
 
 嘆願を込めた言葉は冷ややかな声に乗せられる。
 それ故に感情も変質し、まるで怒りの言葉のように聞こえた。
 真っ直ぐに注がれるその瞳がなければ、あるいはグレイも怒りそのものであると感じたかもしれない。
 
「俺は困らない」
「護衛はいらないって……」
「俺がいいと言っている。困るなら自分で身を守れるようになればいい」
 
 彼女がガイドとしての自分を望んでいることは承知しているが、請け負った仕事はあくまで護衛。守るのは当然、依頼主がクローディア自身ならばともかく、グレイが金を受け取ったのはジャンからだけだ。
 クローディアの弓が使える程度の腕前なのはわかったが、やはり接近戦には向いていない。今回のように暗殺者に襲われた場合、彼女が身を守れる保証はないに等しかった。
 だから今は、護衛として言葉を続ける。
 
「怪我の一つに怯えていては旅など出来ない。慣れた方がいい」
「無理よ」
「ならば帰るんだな。俺はガイドならするが、子守はしない」
 
 きっぱりと言い放つ。
 突き放した物言いは、まるで口付けを交わすかのように寄り添う姿には似合わない。
 しかし優しい言葉を与えたところでクローディアは満足するのだろうか? 安心するのだろうか?
 
「わかってはいるの……努力するわ」
「俺も怪我をしたいわけじゃない。この傷は、俺のミスだ」
 
 先程の考えを、少し訂正してもいい気がした。
 表情を固めた姿は、己を守る鎧に等しい。涙一つで決壊することを良しとしないだけのことだ。
 自分とて、表情一つ変えずに行動することは多い。それを棚に上げるのは馬鹿馬鹿しいことだった。










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祝★初連携。いやプレイ中はしてなかったんですけど。(…)
グレクロなのに戦闘シーンを一生懸命書くサイトってウチくらいじゃないだろうか。
せっかく書かなくても済むように前話あんなところで切ったのに(笑)
楽しいんで、いいんですけど。自分で腕振ってこんな感じ?とかやってたらちょっと腕痛くなった……。





20050801