[ アクココロ 04 ]



 警備隊詰め所は人で溢れていた。
 仕事を求めに来たのか、もめ事でも起こして捕まえられたか、冒険者らしき人間の姿もある。
 人が通るたびに書類が埃のたまった床に舞い落ち、それをまた他の人間が踏みつけていくが、書類の持ち主と思われる人物は目の前の一枚に意識を集中させ過ぎて気付きもしない。かと思えば、奥の部屋からは本当に遊んでいるのではないかと思うほどの笑い声や拍手がわき起こる。
 あまりに雑多とした雰囲気は、暇なようにも忙殺されているようにも見えた。
 どっちなんだかな、とグレイは部屋を見渡して眉を顰める。
 警備兵達は書類の山に埋まり、ああでもないこうでもないと意見を交わすばかりで、「現場に出る」といったような姿勢は見られない。熱意がない、とでも言えばわかりやすいか。
 
「……嫌な熱気ね」
 
 視線を斜め後方に向けると新たに連れとなった女がわかりやすく嫌悪感を示している。
 「不快」という感情だけはどうにもまっすぐ出しすぎる感があるクローディアは、思った通りこのような場所はお気に召さなかったらしい。
 出会って間もないが人見知りが激しい……彼女の態度を優しく表現すれば、だが……ことはすぐにわかった。にこりとも笑わず、硬い表情と冷ややかな目で人を遠巻きに眺めることが、彼女の平常であるようだ。貴族娘にありがちな蔑んだ様子はないが、普通の人間ならば不愉快になる類のものかもしれない。
 受付というものがないこの場所で、ぼんやり突っ立っているだけでは何事も進まない。
 声を掛けるに適当な、隊長か、その下の階級と見受けられる男を捕まえて、問いを投げる。
 
「何かあったのか? それとも何もなさすぎて、騒いでいるだけか?」
「いやぁ、違うとも。見たところ腕が立ちそうだな。仕事を求めてきたのかね?」
 
 そんなところだと返したグレイに、警備兵の顔が明るくなる。
 
「ちょうどいい! 実は厄介な事件が多発していてね。我々もこの通りてんてこまいなのだ。引き受けてみるかね?」
 
 帝国の人間は、しばらく見ないうちにずいぶんと脳天気になったようだ。
 笑顔すら覗かせる対応に、人の良さそうな某人を片隅で思い出し、呆れて目の前の警備兵を見下ろす。が、仕事は仕事だ。ないよりは多分にマシというもの。
 
「……話を聞かせてもらおう」
 
 そうかね、そうかね、と鼻につく喋りを繰り返し、警備兵は書類の山の奥から数枚引っこ抜いてくる。
 道具屋の変死事件……全くの謎でお手上げだという警備隊が冒険者を頼るのも無理はない話だった。メルビルの表で生きる彼らと違い、冒険者は裏と表両方を通じてメルビルを見るのだ。傍目には穏やかで平和な町に見えることだろうが、冒険者の目を通せばそれはただの建前だ。
 メルビルの治安を守る警備隊の所属はもちろん帝国にある。しかも皇帝の膝元であるこの町ならば、そこそこの礼金が期待できそうだった。娘の情報はなかったものの新たな依頼を得たのは幸先がいい。
 
 
 
 港近くの商店の並びにその道具屋はあった。
 広場にも面しているため立地条件がよく、海からも陸からも黙っていても人が寄ってくるというような佇まいの店だ。この店を過去に利用したことがあったかどうかまでは覚えていない。何しろグレイがこの地を訪れたのは数年ぶりのことで、その当時とて贔屓の店はなかったのだから。欲しいと思ったそのときに一番近くにある店で購入するのが彼の習いでもあった。
 
「すまないが」
 
 道具をぼんやりと整理するひどく暗い表情をした娘に声を掛ける。
 泣きはらした顔では見る影もないが、元気さえあれば看板娘らしい愛らしさが伺えた。
 
「あ……すみません。父が……亡くなってしまって……私が、店番しなくちゃ、ならないのに……こんな、こんな顔しかできなくて……母も寝込んでしまうし……」
 
 どうにか応対しようと思っているようだが、混乱と共に出される声は悲しみに他ならない。
 通常通りの営業などできやしないのに何故店を開けたのかと思う一方、父親の死を受け止め切れていないだけかもしれないと考える。それがいいか悪いかはともかく、何かしていれば気だけは紛れるのだろう。
 
「かまわない。警備隊で聞いている。その件で用がある」
 
 警備隊、の言葉に娘はようやく顔を上げた。
 
「あ、ありがとうございます……私、もうどうしたらいいのか……」
「あまり思い悩むな。人は自分の力で生きるものだ。おやじのことは俺が必ず突き止めてみせよう」
 
 娘は父親を非常に好いていたようで、涙とこらえきれない怒りを一気に吐き出した。
 娘を捜す父親に、父親を亡くした娘……今回はずいぶんと父娘に縁があるらしい。
 
「大丈夫、私たちが犯人を見つけるから。もう泣くのはやめなさい」
 
 クローディアは別れ際にそう告げた。
 何度か声を掛けようとする動きは感じられたが、実際は最後のその言葉だけが発せられた唯一のものだ。
 彼女なりに、娘に同情していたのだろう。厳しさの残る言い回しだったが、少なくとも冷たくはなかったなと思い返す。
 
「次は二階の道具屋だな」
 
 広場を突っ切り、再び階段を上り始める。酒場は階段を上って右だが、道具屋は左に曲がった方が近い。
 バックの娘の話では父親を憎んでいたのは商売敵のウォードだけらしい。それも短絡的なものだが、他に有益な情報を持っていない以上話を聞きに行くくらいは必要だろう。
 
「……あれは、何?」
 
 クローディアが歩みを止めて、ちょうど反対側にある巨大な建物を指差す。
 初めてガイドらしい態度を取ってグレイはゆっくりと体の向きを変えた。
 全体を白で装った姿はこの町の中では異質のようにも見えるが、宮殿と向かい合うよう建てられたのは伊達ではない。そこは世界唯一のエロール神殿として、熱心な信者達が訪れる神聖なる地でもあった。
 
「エロール神殿だな。あそこでは光術の加護を得ることが出来る。左にウコム神殿もある」
 
 指差した先は周りの建物に妨げられてその姿を見ることは出来ない。
 身体を傾けてどうにか神殿を確認しようとしていたクローディアだが、どうあっても無駄と諦めた。
 
「海神を祀る神殿は他にもあるが、メルビルでは水術の加護を得ることが出来る」
「水術」
「見たことはないか?」
「昔……見たような気がするわ」
「遠回りになるが、寄っていくか?」
 
 クローディアが頷いたのを見て道具屋に近い左ではなく、右に折れ曲がる。
 
 光を彷彿とさせる白のエロール神殿と違い、ウコム神殿は水を表す青で彩られていた。
 神殿の中は静寂に包まれ、どこからか波の音が響いてくる。メルビルは海に面した港町ではあるが、二階の建物の中にまで響いてくるとは思えない。海神を祀る神殿だけに海水を汲み上げてより近くにウコムを感じようとしているのだろうか。
 
「グレイ、一人で平気よ」
 
 術を覚えるのは初めてだろうとすぐ後ろに付いて歩いていたグレイにクローディアは制止の声を掛けた。
 立ち止まったのを確認すると、不思議と迷いもせずそのまま真っ直ぐ祭壇へと上がっていく。
 響く靴音も規則正しく、町にいるときのような戸惑いはそこにない。
 
「旅に必要です。水術の習得をさせていただけますか」
「わかりました。ウコムの加護があなたにありますよう」
 
 彼女がまず欲したのは癒しの水だった。
 先程のやり取りを思い出す。
 自分のために怪我をしてくれるなと訴えるクローディアの真剣な瞳は、そのときからずっと傷つけずに済む方法を探して思いを巡らしていたのだろうか。
 
「海神に信仰を持たなくても、力を貸してもらえるものなのね」
「術を使うこと自体が、信仰とも捉えられるんだろうな」
 
 回復手段があるのは有り難く、それを望むのは先程のグレイの怪我が原因だと言うのならば、傷を受けたこともそう悪くはない話だ。 
 彼女の術で癒されていく片腕を見つめる。
 しかし決して、彼女自身に視線をやることはなかった……何故か出来なかった。
 
 
 
 二階の道具屋を営むのは陰気な雰囲気の男だった。
 客商売でこれでは、流行るものも流行るまい。
 ウォードは値踏みするように低く言葉を発した。
 
「お客さん、物入りかい」
「いや、そうじゃない。道具屋の変死事件について調べている」
「あぁ……それで俺のところに来たってわけかい。ご苦労なこった」
「おまえがやったのか?」
 
 単刀直入に聞く。
 真正直に「イエス」と答える殺人犯はまずいないが、ウォードもその点は同様だ。
 
「冗談だろ? 俺とバックの野郎は確かに商売敵さ。諍いがなかったとは言わないがね、しかしその程度で殺しゃあしない」
 
 言い分は予想通り。といっても、犯人が用意した台詞という意味ではない。グレイの感想とウォードの反論が似たり寄ったりだっただけだ。
 
「そういやぁ、事件のちょっと前だったか。妙な奴らが店に来たぜ。赤い趣味の悪い服を着込んで、見るからに不審者って感じでな。恨んでいる奴はいないかと聞かれたが、馬鹿馬鹿しいんで追い返してやった」
「赤い装束か……奴らはどこにいる?」
「俺ぁ知らねぇよ。大方地下水道にでも隠れてんだろうがね」
「そうか。邪魔したな」
 
 グレイはきびすを返し、店をあとにする。
 後を追いかけてくる小走りの足音が隣に並んだところでしっかりとした歩みに変わり、それと同時にクローディアが静かな声音をさらに抑えて声を発した。
 
「赤い装束に心当たりがあるのね」
「邪教の徒も確かそのような衣を纏っていたと記憶しているんだが……そんな者たちがまだいたとはな」
 
 いや、とグレイは口唇の内で自分の言葉を否定した。
 今だからこそ、か。
 
 銀の英雄ミルザがサルーインを封印したのが1000年程前だという。
 ちょうどいい、というには違和感もあるが、復活を伺う節目としてはありがちな時期だ。
 サルーインの徒が暗躍し、力を溜めようとしていても不思議はないかもしれない。どこぞの何者かの口車に乗せられているにせよ、勝手にそう考えて行動しているにせよ。
 
「俺には関係ないがな」
「グレイ?」
「いや……こちらの話だ」
 
 どちらにしても夜を待たなくてはそれらしい動きはなさそうだ。
 邪教の徒も闇に蠢く世界の者。人々が寝静まってからが行動にふさわしい時間だろう。
 
「夜を待ち、それから地下水道の入口を張る。サルーインの徒が現れれば、それを追えばいい」
「いなければ?」
「しらみつぶしだな。面倒だが仕方ない」
「そうね。私は異論ないわ」
 
 グレイは首を振って、上から反論の視線を落とす。
 
「さっきの戦いを覚えていないのか? 二人だけで地下水道に潜るのは得策じゃない」
「敵が一人とは限らないから?」
 
 多くの敵から守るにはどうしたって手が足りない。
 残念だが事実として認める他はなかった。弓の腕が一流でも、戦い慣れていないものを連れとしている以上、生き抜くための戦略も考えなくてはいけない。
 
「わかっているなら話は早いな。彼らにも力を貸してもらう」
 
 クローディアが再び口を開くまで幾分か時間が掛かったように思う。
 理解するまでと、理解したことに返答できるまで。
 
「シルベンと、ブラウのこと?」
「他に誰がいる」
「……いいの? シルベンとブラウを一緒に連れていっても」
「必要だから言っている。そもそも彼らを理解しろというのは君の弁だったはずだ」
 
 ゆっくりと息を吸い込みながら、クローディアはグレイの顔を見つめた。
 それから目を逸らすように俯くと、小さく言葉を続ける。
 
「そうだったわ。でも、ありがとう」
 
 礼を言われる筋合いはない。
 口唇を割そうになったその言葉を寸前で飲み込んだ。
 暗殺者から守ったときですら聞かなかった感謝の声を、グレイはただの一言で無視することは出来なかった。










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次回はもうすこしグレクロっぽいです、多分。





20050819

ちなみに私は呪いの依頼者を母親だと思ってます。