[ アクココロ 06 ] 東の空が濃紺から薄紫へとわずかに色を変えた夜明け。 日が昇る直前のメルビルはまだ闇の世界に染まっている。 目覚めているのは港と、娘の無事を喜ぶあの宿屋だけだった。 せめてもの礼だと部屋を用意され、断る理由もなく世話になることにする。獣たちも共で構わないという言葉に、クローディアは表情を僅かながら緩めた。 案内されたのはこの宿唯一の海が見える、また、それゆえに一番の部屋だ。そう思って見てみれば、調度品の趣味も悪くはない。 問題があるとすれば、さも当然と一部屋しか用意されなかったことだろうか。恋人同士だと思われたに違いないが、否定の有無が現在の最優先事項というわけでもなく、黙って受け入れた。 守るためという一点を重視するなら、同室の方が障害は少ない。ジャンがいれば血相を変えそうだが、今この場にいない人間の言葉など知ったことかと切り捨てる。つまり、この状態に文句をつける者は現在のところ存在しない、というわけだ。『グレイ自身』という危険は増えると言えなくもないが、仕事として請け負った手前、また面倒を嫌うが故にクローディアに情を持つつもりはなかった。 クローディアは、男女についておそらくほとんど理解してはいない。それはこの部屋に案内されたときの表情でわかる。嫌悪はなく、しかし焦っているわけでもない。単なる寝床としてしか、この部屋を見ていない。 最初に受けた印象と同じく、クローディアは精神的に子供なのだ。 男と女を理解していても、それを自分自身に置き換えることが出来ない。おとぎ話の姫君を自分に当てはめて、いつか迎えに来る王子様に焦がれることもなかったのだろう。 ジャンがクローディアを託す相手として自分を選んだ理由は、剣の腕前でも冒険者としての評判でもない。 何も知らないクローディアの『女』を護ることが出来る相手だったから。 そう思い当たって、グレイはクローディアの後姿を見つめる。 美しいだけなら問題はない。 ……だが、それだけではなかったら? 「グレイ、明日はどうするの?」 こちらに背を向け、獣たちを撫でていたクローディアが不意にこちらを見た。 冷めた瞳はグレイをすり抜けて、どこか遠くを見ているようだ。 瞳を閉じて、思考とクローディアの視線を遮断する。 少し稼いだところでもあるし、また暗殺者がやってこないとも限らない。帝国から一旦抜けて、クリスタルシティか、エスタミルかに向かってもいいだろう。どちらに選んでも知己がいることだし、何か面白い情報を得られるかもしれない。 「まずはゴールドマインに向かう。他に行きたいところがあれば構わないが、どこに行くにせよ陸を行くなら通り道だからな」 「希望を言えるほど知らないわ。だから貴方のいいようにして。ガイドでしょう?」 そう言うとクローディアは早々にベッドに潜り込んだ。ベッドの傍らにシルベン、窓際にブラウが寝そべる。 「おやすみなさい。貴方も早く寝た方がいいわ」 さすがに疲労が溜まっていたのだろう。すぅと眠りに落ちていったようで、まもなく寝息が聞こえてくる。 「……」 部屋の明かりを落とすと、古びた刀を鞘から抜く。 邪教徒の血を吸った刃は鈍く輝きを放っていた。 ゴールドマインへと向かう商人の馬車に用心棒代わりに乗り込み、思ったよりも早くに到着することが出来た。 緑豊かな東側に位置する首都と違い、西側は鉱山地帯が続く。掘削された結果もあって木々も少なく荒涼とした印象を与えるが、帝国を支える大事な基盤であることは間違いない。故に、異例の皇帝直轄地となっている。 「寂しいところね」 「通常ならもう少し活気がある……何かあったようだな」 町のメインストリートに人の姿は少なく、閑散としている。建物から人の気配は感じるが、出てくる気はないようだ。 「賊でも入り込んだか」 ゴールドマインはその名の通り金の豊富な地域である。採掘された金は精製されたのち、首都に運ばれるのがほとんどだが、一部の金はこの地の倉に納められていたはずだった。 「狙われるものがあるのね」 「あぁ。金が納められた皇帝の金庫がある」 「ではそこに案内して、グレイ」 あっさり言ってのけ、背負った矢に指を掛ける。 相手の力量もわからぬまま臨戦態勢に入るクローディアにグレイは眉を顰めつつも、方向を定めて歩き出した。 金庫はメインストリートを抜けた鉱山の少し手前に建てられている。 町からも少し外れ、関係者以外は立ち寄らない場所だ。 通常は兵が守りに付いているが既に倒れた姿しかなく、賊が入り込んでいることが見て取れる。しかし、見張りを立ててはいない。盗賊ならば警備隊が近付くことを警戒し、外に見張りを用意するはずだ。 余程の腕に自信があるのか、ただの馬鹿どもなのか。 開いた扉の隙間から奥を伺う。 そこにいたのは人ではなく、数匹のモンスターだった。 金塊を手に取っては、麻袋の中へ落とすように詰め込んでいく。何者かに統率されているらしく、動作に淀みはなかった。 「そこまでだ」 敵の数を確認すると、グレイは刀を構え、ドアを開く。 クローディアも弓を引き、モンスターたちに照準を定めた。BR> 「ギギッ」 一斉にこちらに目を向けたモンスターたちは麻袋を担いで突進してくる。 向かってくるのかと思いきや頭上高く飛び越え、背後に着地した。 「逃がさないわ」 クローディアの弓がモンスターの一体に命中する。血に染まった肩口は好戦的な彼らを怒らせるには十分のものだったが、それでも向かってこない。 さらに追撃をしようと態勢を整え、踏み出した矢先に大きな影が地響きと共に現れた。 「モーロックか」 「邪魔よ!」 構えた槍がクローディアの矢を薙ぎ払う。 その背後で金塊を担いだモンスターたちの姿が小さくなっていった。 グレイは舌打ちをして、標的を目の前のモーロックに定める。 「一気に叩くぞ!」 刀を握り締め、モーロックが槍を振り上げた瞬間に懐に飛び込んだ。そのまま駆け抜けて切り払う。 巨体がぐらりと揺れたところをブラウの拳が襲う。 鈍い音と主にモーロックは倒れ込んだ。 「ただの足止めだったようね」 「そのようだな、あまりにもあっけない」 急いで金庫から飛び出したが、さすがにその姿は見えなくなっていた。逃げた方角は東、確認できたのはそれだけだ。 「先ほどのモンスターも役目は果たしたか」 決して強力な敵ではなったが、目的がなんにせよ果たされたらしいことは確かだ。 しかし、とグレイは眉を顰めた。 「おや、どなたかな」 町の方角から、兵を連れた男が近付いてくる。 身なりは優雅なもので地位の高さが伺えた。 「我々は旅のものだ」 「私は帝国の財務大臣を勤めます、パトリックと申します。モンスター襲撃の報を受けて、急いできたのですが……どうやら被害は少ないようですな」 「でも、金を奪われました」 「大した額ではありません。ご心配には及びませんよ」 金を奪われたというのに、パトリックは鷹揚に笑ってみせる。 「では、私共は事後処理がございますので、これで」 道を空けると、パトリックと帝国兵は金庫の中に入っていく。 その背を見送ったあとも、クローディアはその場から動かなかった。 恐らく彼女も同じような考えに至っているのだろう。 「気になるか?」 「……妙じゃないかしら。先ほどの言葉どおり、モンスターはあんなものに興味を示さないはずよ」 金を好むモンスターは少ない。彼らの世界で通用しないものに価値などないからだ。僅かな額を持っていても人を襲って偶然手に入れたものに過ぎない。 いつの時代も金に価値を見出すのは、人間だけだった。 「まず間違いなく人間の差し金だな」 金が絡む時は裏に魔と通じた人間が存在する。 そして狙われたのは、皇帝直轄の地にある金庫だ。 「金が欲しいだけの賊なら『大した額』ではない金でもいいかもしれないが」 「……モンスターを使ってまで盗んだりはしない、ということね?」 この国の状況から言って、背後にあるのは厄介な連中に違いない。 さらに一騒動起きる予感に、グレイはクローディアを見遣る。この国から出るにはもう少し時間が必要らしい。 「グレイ」 「かまわん。俺は君のガイドだ。望むところに連れて行く」 __________________________ グレイにフラグ立ち始めましたが、クロ嬢フラグ立ちはもうちょっと先です。 このイベントは知らなきゃ普通わからないですよね……。 20081123 |